「ゴールデンブーツ」と聞くと、多くの人がサッカーワールドカップの得点王を思い浮かべるかもしれません。私も長年、この言葉を耳にするたびに、偉大なストライカーたちの姿を想像してきました。
しかし、この「ゴールデンブーツ」という言葉は、実は一つの特定の賞を指す固有名詞ではありません。これは、大会やリーグで最も多くの得点を挙げた選手に贈られる賞の「総称」なのです。その使われ方は文脈によって大きく異なり、ワールドカップの得点王、ヨーロッパ全体の得点王、あるいは特定の国やサッカー以外のスポーツを指すことさえあります。
この記事では、この「ゴールデンブーツ」という言葉が持つ多くの意味を解き明かし、その曖昧さを解消していきます。
FIFAワールドカップ・ゴールデンブーツ|世界最高峰の栄誉
最も権威があり、広く知られているのがFIFAワールドカップのゴールデンブーツです。
ワールドカップ・ゴールデンブーツとは?
これは、FIFAが主催するワールドカップ(男子・女子)の本大会で、最多得点を記録した選手に贈られる賞です。大会の最優秀選手に贈られる「ゴールデンボール」とは明確に区別されます。
この賞が公式に始まったのは1982年大会からです。当初は「アディダス・ゴールデンシュー」と呼ばれていましたが、2010年大会から現在の「アディダス・ゴールデンブーツ」に名称が変更されました。
厳格な受賞者決定ルール
ワールドカップのゴールデンブーツが他と一線を画すのは、得点数で並んだ場合の厳格なタイブレーク・ルールです。
得点数が並んだ場合のタイブレーク
1994年大会以前は、得点数で並ぶと賞は共有されていました。しかし、現在は以下の基準で順位が決定されます。
- 最多得点数
- (得点数が並んだ場合)最多アシスト数
- (得点・アシスト数も並んだ場合)最少出場時間
このルールにより、受賞者は必ず単独で決定されます。
2010年大会の実例
私がこのルールの重要性を痛感したのは、2010年の南アフリカ大会です。この大会では、トーマス・ミュラー(ドイツ)、ダビド・ビジャ(スペイン)、ヴェスレイ・スナイデル(オランダ)、ディエゴ・フォルラン(ウルグアイ)の4名が5得点で並びました。
集計の結果、ミュラーが最多の3アシストを記録していたため、ゴールデンブーツ(1位)を受賞しました。ビジャとスナイデルは1アシストで並びましたが、出場時間がより少なかったビジャがシルバーブーツ(2位)を獲得したのです。
近年の受賞者たち
ワールドカップでは、男女ともに記憶に残る得点王が誕生しています。
男子大会の受賞者
近年の男子大会では、錚々たる顔ぶれが並びます。
- 2022年(カタール)| キリアン・ムバッペ(フランス、8得点)
- 2018年(ロシア)| ハリー・ケイン(イングランド、6得点)
- 2014年(ブラジル)| ハメス・ロドリゲス(コロンビア、6得点)
2022年大会では、決勝での歴史的なハットトリックがムバッペの受賞を決定づけました。
女子大会の受賞者|なでしこジャパンからも2名
女子大会でも、日本代表選手が2度この栄誉に輝いています。
- 2023年(豪州/NZ)| 宮澤ひなた(日本、5得点)
- 2019年(フランス)| ミーガン・ラピノー(アメリカ、6得点)
- 2011年(ドイツ)| 澤穂希(日本、5得点)
特に2011年大会の澤穂希選手の受賞は、チームの優勝と並んで、日本のサッカー史に残る快挙と言えるでしょう。
ヨーロッパ・ゴールデンシュー|リーグの「質」を評価する賞
ワールドカップがトーナメントの賞であるのに対し、シーズンを通して大陸全体で争われる賞も存在します。それが「ヨーロッパ・ゴールデンシュー」です。
リーグ戦のみが対象の大陸アワード
これは、ヨーロッパ各国の国内リーグ戦(カップ戦や欧州カップ戦は含まない)で、最も多くの「ポイント」を獲得した選手に贈られる賞です。大陸全土のリーグを横断して比較する、非常に権威のあるアワードです。
この賞は1968年にフランスの新聞L’Équipeによって「Soulier d’Or(黄金の靴)」として創設されました。
信頼性を高めた「係数システム」の導入
現在のゴールデンシューを理解する上で欠かせないのが、独自の「係数システム」です。
なぜ係数が必要だったか?
当初のルールは単純で、ヨーロッパのリーグで最多得点を記録した選手に贈呈されていました。しかし、1991年にこの賞は一時中断されます。キプロスリーグの選手が40ゴールを記録したと主張したにも関わらず、受賞できなかったことが引き金でした。
この出来事は、メジャーリーグとマイナーリーグでのゴールを同等に扱う旧システムの欠陥を露呈させました。私が考えるに、この「信頼性の危機」こそが、賞をより公平なものへと進化させる転換点となりました。
係数システムの仕組み
1996-97シーズンから、ヨーロピアン・スポーツ・メディア(ESM)が主催を引き継ぎ、リーグの「困難度」を反映させた係数システムが導入されました。
- 係数 2.0| UEFAランキング上位5リーグ(イングランド、スペイン、ドイツ、イタリア、フランス)
- 係数 1.5| UEFAランキング6位から21位のリーグ(例|ポルトガル、オランダ)
- 係数 1.0| 上記以外のリーグ
このシステムの真髄は、「ゴールの絶対数」よりも「ゴールの難易度(質)」を評価する点にあります。例えば、ポルトガルリーグで39ゴール(39 $\times$ 1.5 = 58.5 P)を記録するより、スペインリーグで31ゴール(31 $\times$ 2.0 = 62 P)を記録した選手の方が、ポイントで上回ることになります。
歴代の受賞者と近年の傾向
このアワードの歴史は、リオネル・メッシ選手によって支配されています。彼は史上最多の6回受賞という金字塔を打ち立てています。次点はクリスティアーノ・ロナウド選手の4回です。
| 選手名 | 受賞回数 |
| リオネル・メッシ | 6回 |
| クリスティアーノ・ロナウド | 4回 |
| (エウゼビオなど複数) | 2回 |
近年の受賞者は、係数2.0のリーグに所属する選手が独占しています。
| シーズン | 選手名 | 所属クラブ(リーグ) | 得点数 | 最終ポイント |
| 2020–21 | ロベルト・レヴァンドフスキ | バイエルン(独) | 41 | 82 |
| 2021–22 | ロベルト・レヴァンドフスキ | バイエルン(独) | 35 | 70 |
| 2022–23 | アーリング・ハーランド | マンチェスター・C(英) | 36 | 72 |
| 2023–24 | ハリー・ケイン | バイエルン(独) | 36 | 72 |
| 2024–25 | キリアン・ムバッペ | レアル・マドリード(西) | 31 | 62 |
各国リーグで異なる「得点王」の伝統
「得点王」の栄誉は、ヨーロッパの主要国内リーグにおいて、各国のサッカー文化を色濃く反映しています。イングランドやフランスが「ゴールデンブーツ」という呼称を採用する一方、スペインやドイツ、イタリアは固有の名称を用いています。
イングランド|プレミアリーグ・ゴールデンブーツ
イングランド・プレミアリーグの公式アワードは「プレミアリーグ・ゴールデンブーツ」です。
特徴的なのは、タイブレーク・ルールが存在しない点です。得点数で並んだ場合、アワードは共有されます。2021-22シーズンはソン・フンミン選手とモハメド・サラー選手が23ゴールで賞を分け合いました。
スペイン|トロフェオ・ピチーチ
スペインのラリーガでは「トロフェオ・ピチーチ(ピチーチ賞)」と呼ばれます。
これはリーグ公式ではなく、スポーツ新聞のMarca(マルカ)が選定・授与しています。名称は、1910年代に活躍した伝説的ストライカー、ラファエル・”ピチーチ”・モレノに由来します。彼は27歳の若さで早世しており、この賞は夭折した英雄を記憶し続けるという、文化的な側面が非常に強いアワードです。
ドイツ|Torjägerkanone(得点王カノン砲)
ドイツのブンデスリーガでは、スポーツ雑誌Kickerが「Kicker-Torjägerkanone」を授与します。
私が最もユニークだと感じるのが、そのトロフィーの形状です。ブーツ(靴)ではなく、その名の通り「大砲(カノン砲)」の形をしています。これは、ゴールゲッターを「ゴールハンター(Torjäger)」と呼ぶドイツサッカーの力強い美学を象徴しています。
イタリア|カポカンノニエーレ
イタリアのセリエAでは、伝統的に「カポカンノニエーレ」と呼ばれます。これは「大砲の長」や「射撃の名手」といった意味を持ちます。
近年、この賞には「パオロ・ロッシ賞」という名称も併記されるようになりました。パオロ・ロッシは、イタリアを1982年ワールドカップ優勝に導いた国民的英雄です。彼の名を冠することで、国内の栄誉と国際的な功績を結びつけています。
フランス|リーグ・アン・ゴールデンブーツ
フランスのリーグ・アンも「ゴールデンブーツ」の名称を使用しています。
ここのタイブレーク・ルールは独特です。得点数で並んだ場合、「PKによる得点が少ない選手」が上位となります。つまり、流れの中からのゴール(オープンプレー)がより高く評価されるのです。
| リーグ(国) | アワード名 | 特徴 |
| プレミアリーグ(英) | Golden Boot | タイブレークなし(共有) |
| ラリーガ(西) | Trofeo Pichichi | 選手名(ピチーチ)に由来 |
| ブンデスリーガ(独) | Torjägerkanone | トロフィーが「大砲」 |
| セリエA(伊) | Capocannoniere | 選手名(パオロ・ロッシ)を併記 |
| リーグ・アン(仏) | Golden Boot | タイブレークは「PK除くゴール数」 |
サッカーだけじゃない?「ゴールデンブーツ」の多様な意味
「ゴールデンブーツ」という言葉の多義性は、サッカーの枠をさらに超えていきます。日本国内での使われ方や、他のスポーツ、さらには金融の分野にまで及ぶのです。
日本国内での使われ方
私たち日本人にとって、「ゴールデンブーツ」というカタカナ語はどのように使われているでしょうか。
Jリーグの「得点王」
日本のサッカーメディアでは、ワールドカップに関連してこの用語が広く使われています。
しかし、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の公式な表彰において、「ゴールデンブーツ」という名称は使用されていません。シーズン最多得点者に贈られる賞の公式名称は、一貫して日本語の「得点王」です。
JRAの「ゴールデンブーツトロフィー」
非常に興味深いことに、日本国内で「ゴールデンブーツ」が公式の固有名詞として使われている事例があります。しかし、それはサッカーではありません。
JRA(日本中央競馬会)が主催する「ワールドスーパージョッキーズシリーズ」というレースがあります。このシリーズの第3戦のレース名が「ゴールデンブーツトロフィー」と名付けられているのです。ここでいう「ブーツ」は、サッカーのスパイクではなく、騎手が履く「長靴」を指しています。
他のスポーツでの「ゴールデンブーツ」
他のスポーツに目を向けると、この言葉は「得点王」とは全く異なる意味で使われています。
ラグビーリーグ|年間最優秀選手(MVP)
ラグビーリーグにおける「IRL ゴールデンブーツ・アワード」は、得点王の賞ではありません。
これは、国際試合でのパフォーマンスに基づき選出される、その年の「年間最優秀選手(MVP)」賞です。事実、2023年の受賞者ジェームズ・フィッシャー=ハリスは、得点を量産するポジションではない「プロップ」の選手でした。
ラグビーユニオン|ベストキッカー賞
ラグビーユニオンにおける「ギルバート・ゴールデンブーツ」も、トライ数の賞ではありません。
これはシーズンを通しての「キックによる総ポイント」を競う賞です。コンバージョンキックとペナルティキックの合計ポイントで争われる、まさに「ベストキッカー」賞です。
オーストラリアン・フットボール|コールマン・メダル
オーストラリアン・フットボール(AFL)の最多ゴールキッカーの公式賞は「コールマン・メダル」と呼ばれます。これもスペインのピチーチ賞と同様に、伝説的な選手(ジョン・コールマン)の名を冠しています。
スポーツ以外の分野
さらに文脈を広げると、スポーツとは無関係な意味も存在します。
- 金融(アメリカ)| 企業が従業員に早期退職を促すための、特別な金銭的インセンティブ(退職一時金の加算など)を指す俗語として使われます。
- メディア| “The Golden Boot” といった書籍や映画のタイトルとしても使用されています。
まとめ
この記事を通じて、私が明らかにしたかったのは、「ゴールデンブーツ」が単一の賞ではなく、文脈によって定義、権威、選考基準が根本的に異なる多義的な「概念」であるということです。
ワールドカップではアシスト数や出場時間で厳格に順位が決められる最高の栄誉であり、ヨーロッパのリーグでは「係数」でリーグ間の格差を調整する統計的な競技でもあります。スペインやイタリアでは国民的英雄への追悼であり、ドイツでは「大砲」という独自の美学を反映しています。
さらにその意味はスポーツを超え、ラグビーリーグでは最高の栄誉であるMVPを、金融界では退職パッケージを、そして日本ではJRAのレース名を意味します。「ゴールデンブーツ」という言葉に出会ったときは、それがどの文脈で語られているのかを一度立ち止まって確認することが、その本当の意味を理解する鍵となるでしょう。

